「吾唯足知」を中学生の時に国語の授業で知って感動しました。「口」の字を真中に置いて共用する文字の配置にも感心して、その日の夜に家族に話したのを覚えています。

京都の龍安寺のWebサイトには境内にある蹲踞(つくばい)について以下の紹介文があります。

「中央の水穴を『口』の字に見立て、周りの四文字と共用し『吾唯足知』(ワレタダタルコトヲシル)と読む。 これは、釈迦が説いた『知足のものは、貧しといえども富めり、不知足のものは、富めりといえども貧し』という『知足』(ちそく)の心を 図案化した仏教の真髄であり、また茶道の精神にも通じる。また、徳川光光圀の寄進とされる。」

今の中学生が同じ話を聞いて、どれくらいの人が感動するのでしょうか?

当時はテレビの時代劇番組も人気があって、「お天道様は見ている」や「情けは人の為ならず」などのことばが生きていました。

日本は構造的財政赤字のためか新自由主義の世の中へと加速しているようです。

親や先生に教わった伝統的な価値観と経済成長や経済合理性をひたすら求める会社や株主との間で、心が引き裂かれてストレスを抱えている人も多いのではないでしょうか。

街には眉間に皺を寄せて歩く、時間に追われた不機嫌な労働者が年々増えているように感じます。